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柏崎刈羽メモの存在、知っているし読んでいます(書き起こし)

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4行まとめ

・2011年3月15日の議事録、メモ、TV会議動画の映像は一切残っていない、と今まで東電は説明してきている。
・しかし、TV会議動画で結ばれていた柏崎刈羽原発の人間が、メモしていた3月15日の「柏崎刈羽メモ」が存在することがわかった。
・筆者が以前、東電に取材した際は「柏崎刈羽メモは把握していない、調査もしない」という回答であった。
姉川常務に直接聞くと「柏崎刈羽での記録は知っているし、読んでいる」との回答!





2014年12月1日 原子力改革特別タスクフォース 記者会見
おしどりマコちゃんの質疑部分の文字起こし

原子力改革特別タスクフォース長代理兼同事務局長 姉川尚史
原子力改革特別タスクフォース長代理兼同事務局長 姉川尚史

おしどりマコ
昨年8月の東工大のシンポジウム、先月の国会での答弁での姉川さんのご発言を聞き、現在この位置に居られるということを個人的に大変ありがたく思っております。
タスクフォースの目的のひとつ、
「情報公開、リスクコミュニケーションなどを見直し、事故から得た教訓を反映させた改革を実行する」
と云う目的を踏まえた上で率直に伺います。
原子力改革監視委員会に、2011年の3月15日の議事録や、メモが一切ないと云うことは説明しておられるのでしょうか。

 

姉川原子力改革特別タスクフォース長代理兼同事務局長
2011年3月15日のメモという、今のご質問自体が私充分理解出来ないでおりますが、もう少し詳しくご質問をご説明いただけませんか。

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おしどりマコ
わかりました。 各部署をテレビ会議で結んでいる、テレビ会議動画で、3月15日の物だけ音源も映像も一切ないんですね。
2011年3月14日の23時50何分まで、そして次が3月16日の朝からとなっており。
3月15日の映像、音源が一切欠けております。 そしてその欠けている間に関してのメモや議事録は一切無いのか。
と云うことを2012年から記者会見でも質問していますが 「メモや議事録も一切無い」と云う回答をいただいております。
そして、今年話題になりました故吉田所長の「吉田調書」に関する文言も3月15日の物がトピックとなっております。
ですので、2011年3月15日に一体何があったのか。
テレビ会議動画で各部署を結んでおりますので何かしらのメモや議事録があれば少しでも手がかりになるのですが、それが一切出てきません。
そして、柏崎刈羽原発でメモをしておられた方の「柏崎刈羽メモ」と云うのがありまして。

それを私も入手致しましたが、それに関してこの記者会見で東京電力の方に伺いますと、先月広報の方は
「柏崎刈羽メモについて今後も調査をしない、東京電力としてそれは調査もしないし把握もしない。」
と云うご回答でした。
ですので、「事故から得た教訓を反映させた改革を」と云うことに少し齟齬(そご)があるのではないかとおもいまして。
この2011年3月15日に一切メモや議事録がないと云うことを原子力改革監視委員会の方にもご説明されているのかどうか、と云う質問です。

 

姉川原子力改革特別タスクフォース長代理兼同事務局長
お答えします。 監視委員会の方への回答は直接していません。
それは、それ自体が議論として質問されたとか、こちらの方から議題として上げたと云うことが無いからでございます。
ただ、それだと今のご質問への回答にはならないと思いますので、付け加えさせていただきますと。
テレビ会議の記録については、12日の夜より前、それと15日付近に空白が有ります。
で、これは私自身もその、11日の事故が起こって以降の記録で有りますとか、15日、色々当社も指摘されましたので、
その事実関係を知りたいと思って探しましたけど、私の手元にも来ませんので特に、、。 まあ、努力した結果でしたので。
何処かにあってですね、それを誰かが表に出さないと云う状態では無いと云う風に私はみております。
ただ、非公式のメモ、個人のメモそう云う物も一切無いかどうかと云うことは中々、その確認もしていないのでお答えし難いのですが。
おそらく従前の皆様へのご回答は公式の議事録、そういった物が無いということで。
それはテレビ会議が記録されている12日、13日、14日の間でも公式といっていい様な議事録がございませんので、
結局あれはテレビ会議を文字起こしした様な状態で事実関係をお話ししてますから、そう云う意味では私自身は15日のなんか正式な議事録が無いのはやむ負えないのかなと云う風には思ってます。


おしどりマコ
ありがとうございます。 この通称「柏崎刈羽メモ」についてもやはり今後は把握はされない、と云う考え方なのでしょうか。
個人なメモについても調べられないと云う事なんでしょうか。


姉川原子力改革特別タスクフォース長代理兼同事務局長
柏崎刈羽に限らず、1F、2F、柏崎についてはですね、事故の関連の時どの様に推移したか。
と云うのは当社が1012年の6月にその、事故調査報告書、国会事故調、政府事故調が出る前後の会社としての報告書だったと思います。
その時に後半に、何か記憶にある方、若しくは何かメモを持っている方そう云う方を訪ねて調査してまとめ上げたのがあのレポートになっておりますので。
こういう調査ですから完璧にと云うことは中々申し上げられませんけれど、あれは相当な手を尽くして、事故の当時を再現してまとめたレポートだと云う風に私自身も思っております。


おしどりマコ
ありがとうございます。
真摯なご回答ありがとうございます。 東工大でのシンポジウムでは、姉川常務はこの社内事故調に関してもかなり批判的なコメントをされておられましたが。
この事故当時のメモについても、まあこれに関しては充分であったと云うご認識なのでしょうか。


姉川原子力改革特別タスクフォース長代理兼同事務局長
はい。 原子力安全改革を開始した背景でも述べました様にですね。
あの報告書は事故の顛末については一定の精度、中々難しいのですが、事故が起こった時その当時も混乱してますから。
それを掘り起こして書いてますので、
その点については評価出来ますが、事故を防げなかった背景としての組織的に我々の技量の問題、安全意識の問題。
そう云うところに踏み込んでいないのが問題である、と云う風に私自身も思っておりますし、それが故に福島事故の総括及び原子力安全改革プランと云う物を翌年の3月にまとめて、これも会社として出した物で有りますが。
足りなかった部分を補完したと云う形になっているかと思います。


おしどりマコ
わかりました、ありがとうございます。 最後に確認なんですが。
この通称「柏崎刈羽メモ」については、やはり東京電力として今後も調査をされないと云うご回答で宜しいでしょうか。

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姉川原子力改革特別タスクフォース長代理兼同事務局長
柏崎刈羽において、テレビ会議を見ながら文字起こしをしている記録があるのは私も承知をしておりますし、私自身も読んでおりますし、それについてクローズされていることは無いと思ってるんですけれども、その範囲のことを仰ってるかどうか、今その確認する術が有りませんので。
おしどりさんがご質問の範囲がそうであったか、今までの会見の事も担当してる者に確認した上で出すべき物が出ているのかを見た上で、そしてまだ存在する物が有るんであれば、追加の調査をしますし、充分今まで自分たちが把握してる物が出てるんであれば以上で持ってるものです。
と云うような答えになると思います。 それはちょっと確認させて下さい。


おしどりマコ
ありがとうございます。 よろしくお願いいたします。
2011年3月15日のメモについてです。 宜しくお願い致します。

 

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