3行まとめ
・今年3月、飯舘村の愛澤氏と筆者の手紙をバチカンのフランシスコ教皇さまに届けることができた。
・フランシスコ教皇さまに、福島第一原発事故の状況を訴え、日本に来て現状を見てほしいと訴えた。
・5月に、フランシスコ教皇さまから愛澤氏と筆者にお返事を頂いた。
ドイツでの宗教者会議
2015年3月~6日にかけて、ドイツ、フランクフルトにて、宗教者による国際会議が行われた。
この国際会議のタイトルは
The ‚Energy Shift‘ from Nuclear Power to Sustainable Forms of Energy –What Can Religious Groups Contribute to Climate Protection?”
(『脱原発から再生可能エネルギーへの「エネルギー転換」を求める国際会議ー宗教諸団体は気候保護に向けてどのような貢献ができるか?』)
会議の主催は、ヘッセン・ナッサウ福音教会およびクアヘッセン=ヴァルトエック福音教会のエキュメニカル・センター(フランクフルト)である。
カトリック、プロテスタント、イスラム教、仏教、神道、様々な宗教者が様々な国から参加しており、それぞれの取組を紹介し、
「命と自然に責任を持つためには、原子力は不必要である。」と一致していた。
筆者は、この会議に招聘された際、フランクフルトのDr.マルティン・レップ(ヘッセン・ナッサウ福音教会エキュメニカルセンター、アジアとの宗教対話担当)に相談した。
教皇さまに直訴したいという飯舘村の方がいる
2013年10月、山本太郎議員が天皇陛下にお手紙を直接渡した。
その内容は、原発事故の被ばくから、子どもと労働者を救ってほしいという内容だったことを筆者は取材をして知り、
その後、福島第一原発の作業員や、福島県に住む方々にインタビューをして記事を書いた。
その中で、福島県飯舘村の男性、愛澤卓見氏からこのようなコメントが出た。
「自分は、実は、誰かが天皇陛下に訴えてくれたらいい、と願っていた。どなたかに託そうかと思っていた。
原発事故のことは、国連でも、WHOでも無理だ。ローマ法王(注)に直訴に行こうか、と考えていたこともある。
日本の行政も国会議員も研究者も、訴えてもダメだった。
どこに、誰に訴えたらいいんだろうかと思って。」
(注:ローマ「法王」とは誤った表現で、正しくは「教皇」というそうである。今回、国際会議で、カトリックの神父さまがたから多々指摘された。
教皇の皇の字を、日本のマスメディアが使用を避ける(皇族の皇と重なるので)ため、法王と誤った表記がされている。
日本のカトリックはマスコミ各社に「教皇」という表記を使用してほしいとたびたび申し入れをしているが、現状「法王」のままだそうである)
負げねど飯舘の取組
原発事故後、2011年3月から飯舘村で村の子どもの被ばくを調べてほしい、と訴えていたのが愛澤さんらである。
放射性ヨウ素が半減期が8日ということを原発事故後に知り、飯舘村の空間線量が上昇した3月15日から数か月以内に内部被ばくを調査しなければ、と本当にあらゆるところにアクセスし、訴えてきたが、かなわなかった。
筆者は彼らと一緒に問題を追及し、要望していたが、かなわず、WBCを受ける期限ときめた6月15日を迎えたときは、電話口で涙を流しあった。
その際の文章、「6月15日に寄せて」を転載する。
飯舘村に放射性物質が降り積もったのは3月15日でした。今日で三ヶ月が経過します。私たちはどの程度被曝したのか。深刻な影響はないのか。そもそも低線量被曝の範疇なのか。せめて子どもたちのデータだけでもきちんと記録して今後の医療ケアに役立てて欲しい。そんな思いからホールボディカウンターでの検査を求めていましたが回答はありませんでした。(略)
もちろん、三ヶ月以内なら推測可能で、それを1日でも過ぎると推測不可能なんてことはないでしょう。ホールボディカウンターによる検査も万能ではありません。検出できる放射性物質は限られていますし、ヨウ素については半減期の関係があり、セシウムについても生物学的半減期があり既に検出は難しいことは予想していました。また、仮に5月中に検査をしたとしても私たちのケースでは放射性物質がどのタイミングで体内に入ったのかを推測することは不可能に近いことも理解していました。汚染された場所で一ヶ月以上も普通に生活していたのですから。ただ、「検査をしていないから“わからない”。」「“わからないこと”は“なかったこと”」にされてしまうのではないかと危惧したのです。原子炉作業員が三ヶ月に一度の基準で検査をしているという「基準」をたよりに要望をしてきましたが取り合ってもらえませんでした。残念です。もっと早くホールボディカウンターの存在を知っていれば。もっと早く国や県へ要望していれば。もっと早くホールボディカウンターがあるにもかかわらず稼働していない事実をつかんでいれば・・。
(略)原子力発電所の事故そのものではなく「言葉が通じない」この状況です。原子力にかかわる人々は皆、自説を語ります。とても科学的とは思えない発言をする科学者。心ない発言をする医師。低線量は体に良いとまで言う研究者さえいます。さらに事故以降、多くの安全基準が変更されました。緊急時のためのマニュアルだったはずなのに有効に使われていないものもたくさんあると聞きます。私たちの疑問に答えてくれる人はいません。私たちのSOSの叫びはどこかに消えてしまいました。私たち自身もお互いの言葉を理解できなくなっているかのようです。言葉はどこかに届いているのでしょうか。
飯舘村の方の手紙をローマ教皇に
筆者はDr.マルティン・レップに、福島県飯舘村に、ローマ教皇に直訴したいと考えている方がいることを話した。
Dr.マルティン・レップはプロテスタントだが、日本のカトリックの正義と平和評議会の昼間範子氏、イエズス会の光延一郎神父を紹介してくださった。
そして、昼間範子氏、光延一郎神父のお力添えで、アド・リミナ(教皇庁定期訪問)でバチカンに行かれる日本の司教団の勝谷太治司教が手紙を預かってくださり、バチカンのフランシスコ教皇さまにお渡しくださった。(筆者まで手紙を書く機会を与えてくださったのである!)
そのとき、3月20日の勝谷司教からの短信は下記である。
先ほど、教皇様との謁見を終え帰ってきました。
手紙を渡すことができましたし、謁見中の話題で、二人のことや手紙の内容について話すことができました。更に、 教皇様はかなりの時間を原発問題や環境問題について話され、 来週完成する、 環境についての回勅にこの問題について触れられることもおっしゃ っていました。
どうぞ、手紙を書いた二人(注:愛澤氏と筆者)にこのことを伝えてください。
そして、翌日21日、下記のような記事がいくつも出た。
ローマ法王:原発は「バベルの塔」 現代文明のひずみ指摘 – 毎日新聞
フランシスコ・ローマ法王は20日、バチカン(ローマ法王庁)を公式訪問した日本の司教団と会見。東日本大震災の福島第1原発事故に関連し、人間のおごりと現代文明のひずみの一例として原発の開発に警鐘を鳴らした。法王が原発の安全性に言及するのは異例。
日本司教団によると、法王は「人間は神の定めた自然のおきてに逆らってはいけない」と指摘。原発を旧約聖書の「バベルの塔」になぞらえ「天に届く塔を造ろうとして、自らの破滅を招こうとしている」と表現し、「人間が主人公になって自然を破壊した結果の一つ」と述べたという。
実は、愛澤卓見さんの、「6月15日に寄せて」という文章は、「バベルの塔」で終わる。
まるで旧約聖書のバベルの塔です。神が人間の奢り高ぶりを見て、それまで一つだった言葉を乱し、互いに意思の疎通ができないようにさせた物語です。3月11日までの世界はこんな世界だったのでしょうか。気づかないだけでお互いの言葉は通じていなかったのでしょうか。仮にそうだとすれば神が「おかしいな、天罰を下していたはずなのに人間は気づいていないぞ。面倒だがもう一度、バベルの塔に天罰を下すか。」と考えたのは無理からぬ話でしょう。二つ目のバベルの塔として福島原発が選ばれ、恩恵を受けていない、皮肉にも持続可能な村づくりを目指していた飯舘村がひどく汚染されてしまったのです。この二つ目のバベル以後の世界をどのように生きていけばいいのか。私たちは途方に暮れています。
この偶然に、筆者と愛澤氏は驚いたものだった。
しかし、驚きはまだ続いていた。
その2か月後、5月に、フランシスコ教皇さまが、お返事をくださったのだ!!
愛澤氏と筆者への返事は、それぞれ異なるもので、手紙の内容を読み込んだうえでのお返事だった。
とても感謝し、感激している。
ここに公開すると共に、尽力してくださったDr.マルティン・レップ、昌代・レップさん、勝谷太治司教、光信一郎神父、昼間範子氏、英訳してくださった平沼百合氏に深く感謝する。
そして、バチカンのフランシスコ教皇さまの深い愛を、本当に心からありがたく思う。
フランシスコ教皇さまへの手紙(飯舘村、愛澤卓見さん)
教皇さま
突然お手紙を差し上げる非礼をお許しください。 私は福島県の飯舘村の愛澤卓見といいます。飯舘村は今回の原発事故で最も汚染された地区です。また、最も避難が遅れた地区でもあります。この地区で起きたことをお知らせしたいのです。
この話は私自身の罪の告白にもなります。事故直後、原発から離れた山村である飯舘村には津波を逃れた人々が避難してきました。また、原発事故を恐れた人々も避難してきました。人々は、いくつかの山を隔てた飯舘村であれば安全だと考えたのです。当時、私は村の小学校で働いていました。その体育館は村で最も大きな(彼らのための)避難所となりました。13日の開設から18日の閉鎖までの期間、避難所に留まり働いていました。2011年の3月は季節外れの雪が降る寒い日々でした。体育館の暖房は十分ではありません。避難してきた方々にはお年寄も多く、寒さと高血圧を原因とした脳溢血や心筋梗塞が心配でした。薬もありません。私たちにできることは水分を多く取らせることだけでした。しかし、その後、飯舘村の水道水が放射性物質で汚染されていたことが明らかになったのです。
飯舘村に避難指示が出て以降、私は自分たち飯舘村の住民になにが起きたのかを調べました。いくつかの記録を調べていく中で、飯舘村の「井戸水を使っていた家庭」より避難所に来ていた人々の被曝量が大きいことに気づきました。
私は沈黙してしまいました。政府は飯舘村の住民に対してさえ、「健康被害は発生しない」というスタンスを取っています。科学者は被曝による健康被害を危惧する人々を「愚かである」と罵ります。現時点では公的な補償の可能性はないのです。事実を口にすることは、今現在、幸せに生活している当時の避難者の人生に影を落とすだけかもしれないのです。
事故後、政府と一部の科学者は一貫して「健康被害は発生しない」「放射能を恐れるストレスこそが健康被害の原因である」という主張をしてきました。放射性物質への忌諱は「自然の恵みへの冒涜」であり、「食べても大丈夫」と伝えることこそが汚染地域に住む人々への慈しみであるとさえ彼らは言います。愛であり、正義であり、自然への畏敬の念だと主張しはじめたのです。
私はカトリック信者ではありませんが、神に祈ります。どうか、私の罪を罰してください。沈黙していたのは私です。飯舘村の人々に罪があるのであれば、どうか私一人にその罰をお与えてください。彼らは水道水の汚染が深刻だった可能性を知らされていないのです。知っていたのは私です。私は赦されようとは思っていません。どうか私を罰してください。
今回の原子力発電所の事故は、想定外の地震と津波が原因でした。しかし、その後のすべては人災です。人は偶然の出来事からでも教訓を得ようとします。天災からでさえ教訓を得ようとします。しかし、今回の事故からは教訓を得ようとはしていません。避難が遅れたことも、初期被ばくを計測しなかったことも、すべて「なかったこと」「些末なこと」として闇に葬ろうとしています。愛や正義という言葉でごまかそうとしています。このこと自体が天災ではなく人災であることの証明なのです。
原子力は人の手に余るエネルギーです。ひとたび暴走すれば手が付けられません。世界を変えてしまうのです。日本では「愛」と「正義」と「自然への畏敬の念」が変えられようとしています。
教皇さま、どうぞ日本にいらしてください。そして祈ってください。「愛」と「正義」と「自然への畏敬の念」が正しくあるために。
2015年3月にドイツで原子力とエネルギーシフトを考える宗教者会議が行われました。この会議に参加して、今回の原発事故を最後の原子力災害とするべく真剣に取り組んでいる人々が世界中にいることを知りました。倫理の問題なのです。正義の問題なのです。もう沈黙を続けることは出来ないと思いました。
この会議を主催したヘッセン州ナッサウ福音協会のお力添えと、日本カトリック正義と平和協議会の温かいご支援により、この手紙を書く機会を与えてくださいました。
教皇さま、ご挨拶を申し上げるとともに、再度、非礼をお詫び申し上げます。また、心よりの感謝を申し上げます。
愛澤卓見
フランシスコ教皇さまへの手紙(筆者)
教皇さま
突然お手紙を差し上げる非礼をお許しください。
私は、おしどりマコと申します。
日本で、福島第一原発事故の取材を、事故発生からずっと継続しております。
原発事故には不正義が溢れております。
原発事故直後は、権力者と裕福な人たちだけが情報を握り、汚染地域から逃げました。
しかし、大部分の住民は汚染の情報を知らされず、被ばくしました。
その被ばくを、今では「健康にたいして影響は無い」と隠そうとしています。
被ばくの影響を公平に調べる研究者、記者には圧力がかかります。
私の原発事故に関する記事も、電力会社などのスポンサーから圧力がかかり、掲載されなかったことが度々あります。
その結果、被ばくの影響は無い、という論文・記事ばかりが日本国内に、そして世界に出ていきます。
原発事故の作業にたずさわる作業員たちは、高線量被ばくしても健康の影響を調査されません。
100mSV以上被ばくすると、健康調査をされると決まっているのですが、
ギリギリその数値以下の被ばくの作業をさせられ、健康調査はありません。
80mSV,95mSVなど高線量被ばくし、心臓の発作で突然死する作業員も複数いますが、調査はされません。
チェルノブイリ原発事故での作業員の死因も、心臓発作が多いので、懸念する作業員もいますが、調査はなく、問題ないとされています。
危険を感じ、被ばくから子どもを守ろうとする母親たちは「科学的でない」とののしられます。
しかし、記者として取材をしていて、原発事故の汚染については、
「科学的な議論」ではなく、いかにして損害をおさえるかの「政治的な議論」しか話し合われておりません。
日本は、長崎・広島に原爆が落ち、福島でレベル7の原発事故が3件ありました。
「人類に対する放射線の恐怖を伝える国」のはずが、「政治的に放射線の安全性を宣伝する国」になりつつあります。
取材する前は、原子力は、物理学や医学、エネルギーの分野かと思っておりました。
しかし、歴史学、社会学、政治学、心理学、様々な学問が関係しておりました。
最終的に、取材をしていて私が気付いたのは「そこに正義があるのか?」「原発事故後の正義とは?」ということでした。
なので、教皇さまに手紙を書こうと思い立ちました。
原発事故の不正義とは、経済の発展のため、裕福な者がより裕福になるために、貧しい者、弱い者、幼い者が犠牲になるという構造だと思います。
教皇さま、どうぞ日本にいらしてください。
そして、福島第一原発事故で苦しんでいる住民たち、母親たちの声を聞いてください。
私は、全世界のカトリック教徒の方々に伝えたいのです。
命と自然を踏みにじる現状が、日本にありますのに、それが世界に伝えられておりません。
原発事故を取材した記者として、長崎、広島、福島を経験した日本人として、未来と世界に伝える責任があると思っております。
2015年3月にドイツで原子力とエネルギーシフトを考える宗教者会議が行われました。
今、この手紙をドイツで書いております。
様々な宗教者が集っての発表で、共通していたのは「命と自然に責任を持つためには、原子力は不必要である。」という意見でした。
この会議を主催したヘッセン州ナッサウ福音協会のお力添えと、日本カトリック正義と平和協議会の温かいご支援により、この手紙を書く機会を与えてくださいました。
教皇さま、ご挨拶を申し上げるとともに、心からの感謝を申し上げます。
どうぞ私たちにお導きをお与えください。
おしどりマコ
フランシスコ教皇さまへの手紙(飯舘村、愛澤卓見さん)in English
His Holiness
Pope Francis
I apologize for giving you this letter all of a sudden. I am Takumi Aizawa, from Iidate village, Fukushima. Iidate village is one of those areas seriously polluted with radioactive materials in the Nuclear power station accident in Fukushima. Although the pollution has been serious enough to vacate the village right away, the residents were the latest to be able to evacuate. I’d like to tell you what has happened in the area.
It is also the confession of my own fault. Just after the accident, the people escaped from Tsunami came long way to Iidate village which is located far away from the nuclear power station. The people feared the nuclear power station accident also escaped to the village. They thought it might have been safe in Iidate village, as there are some mountains in between. At that time, I worked at the elementary school in the village. The gym at the school was the largest shelter in the village. The shelter opened on 13th March and closed on 18th March, and I stayed and worked there. It was snowy and cold winter time in March, 2011. The gym was not warm enough although there were many old people evacuated. We were concerned that they could have suffered from the cerebral stroke or heart attack. We didn’t have any medicine and the only thing we could do was to give them as much water as possible. However, we later came to know that the tap water in Iidate village had been polluted by radioactive materials.
Since the evacuation instruction has been given out to Iidate village, I made a research on the things happened to the residents of Iidate village. In some records, I found that the exposure dose of the people at the shelter was much larger than that of ‘the residents using well water’.
I couldn’t find a word to say. The government even tells the residents of Iidate that ‘there would be no health damage’. The scientists have been abusive toward those concerned about the health damage of radiation and call them ‘foolish’. At present, there is no possibility of official compensation. Talking about the fact may only make a shadow on the life of the evacuees who are now living in happiness.
Since the accident, the government and some scientists have consistently been claimed that ‘there would be no health damage’ and ‘the very cause of health damage should be the stress created by the fear of radiation’. They even say that avoiding radiation is ‘the desecration of natural blessings’ and that telling the residents in polluted area that ‘there is no problem eating all’ can be the compassion for them. They started to insist that it is love and justice, and reverence for nature.
Though I’m not a christian, I pray to God. Please reproach me for my fault. I have been silent. If the people in Iidate village are guilty, please give just me a punishment. They haven’t been told any possibility of serious pollution in tap water. I knew that. I don’t think I can be forgiven for that. Please give me a punishment.
The accident of nuclear power station in Fukushima was caused by unexpected earthquake and Tsunami. But everything happened after that should be human-generated disaster. We all learn from the accidental events, even from the natural disaster. However, we haven’t learnt anything from the accident in Fukushima. We are passing over in silence, all about having delayed evacuation and not measured the primary exposure, making them as the ‘things that didn’t exist’ and ‘trivial’. They are trying to hide them behind the words like love and justice. This is the evidence of the human-generated disaster (not the natural disaster).
Nuclear power is the energy beyond the control of human beings. Once it goes out of control, there is nothing we can do. It changes the world totally different. In Japan, the ideas of ‘love’, ‘justice’, and ‘reverence for nature’ have been changed.
His Holiness Pope Francis, please come to Japan and give us a prayer, to make the ideas of ‘love’, ‘justice’, and ‘reverence for nature’ back to the rightness.
In March, 2015, there was the “Internationale Tagung: Von Atomkraft und Religion” (The international conference for The ‘Energy Shift’ from Nuclear Power to Sustainable Forms of Energy) in Germany. I joined the conference and happened to know that there are many people working seriously on this worldwide problem to make the Nuclear power station accident in Fukushima to be the last nuclear disaster. This is clearly the issues of ethics and justice. I felt I could not keep silence anymore.
This conference was organized by the Protestant Church in Hesse and Nassau,which invited also representatives of the Roman Catholic in Germany, Japan and Korea. The representative of the Council for Justice and Peace of the Roman Catholic Church in Japan,Prof.IchiroMitsunobu S.J., kindly suggested to write this letter,therefore I dare to address you in such a way.
His Holiness Pope Francis, I thank you so much for sharing time to read this letter and I apologize for my rude behavior again.
Sincerely yours,
Takumi Aizawa
フランシスコ教皇さまへの手紙(筆者)in English
フランシスコ教皇さまからのお返事(愛澤さん宛て)
フランシスコ教皇さまからのお返事(筆者宛て)