(12月28日、追記しました)
週刊文春 2019年1月3・10日号掲載の、DAYS JAPAN前編集長の広河隆一氏の「性暴力を告発する」という記事を読み、驚き、そして怒りがこみ上げました。
DAYS JAPAN編集委員として、被害に遭われた方々に本当に申し訳なく思います。
そして、全く気付くことができなかったことを謝罪いたします。
記事を読む限り、被害に遭われた方々は、広河隆一氏より、立場の弱い方々です。
そのような力関係に差がある中で、立場が上の側が、合意の上ととらえることは間違っていると思います。
被害があったと声を上げてくださった女性の方々のお気持ちを考えると、悔しく悲しく申し訳なく思います。
私自身、小学校の頃から身長が高く、12歳で166cmあり、子どもの頃に嫌な想いをしたことが多々ありました。
先生に嫌なことをされると、何も言えません。
誰にも相談できず黙って、自分が悪いのだと思うしかありませんでした。
そして、このことは、まだ私自身、言語化できない体験でもあります。
なので、10代後半には、被害があれば黙ってはいないという自衛を覚えましたが、芸人になってからも酷い経験はありました。
夫婦漫才師なので、常に相方と一緒にいる状態でしたが、それでも、相方が酔いつぶれた間に、同席していた人間にしきりに身体に触れられ卑猥なことをされるということもありました。
しかし、相手が力を持った立場ある人間だと、自分たちだけでなく、仕事自体が無くなると、関わっている方々に迷惑をかける、と黙って耐えるしかないこともありました。
私自身、そのときに抗議しなかったせいで、被害を広げた可能性があると、悔やんでいるできごとでもあります。
ですので、力に差がある状況で、明確な意思表示がないことを、合意の上だとする、そのような立場が上の側の主張には、強く抗議したいと思います。
そして、広河隆一氏が、良い取材を長年続けてきたから、酷いことをしてもいいということには全くなりません。
この記事の内容に、広河隆一氏は、きちんと向き合い、誠意ある説明と真摯な謝罪を求めたいと思います。
そのために、編集委員として力を尽くします。
被害に遭われた方々が、これ以上辛い想いをされませんように。
そして改めて、気付かなかったことを心からお詫びいたします。
今後、このようなことが繰り返されることの無いよう、私自身も行動していきたいと思います。
2018年12月26日
おしどりマコ
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僕も、今回の週刊文春 2019年1月3・10日号掲載記事、広河隆一氏の「性暴力を告発する」を読み、怒りで涙が止まりませんでした。
DAYS JAPAN編集委員として長い間関わりながら、知らなかった、では済まされない事です。
勇気を出して声を上げられた方には、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
広河氏には、被害に遭われた方が声を上げられている事実に向き合っていただきたいと思います。
自分が知らない間に、誰かを踏みにじっているのであれば、相手の方々に対して謝罪すべきです。
2018年12月26日
おしどりケン
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12月28日追記。
文春の記事を読みながら、相方ケンパルはポロポロ涙をこぼしていました。
「この被害者の方が、マコちゃんだったらと思うと、僕はとても耐えられない、
この被害者の方々のご家族は、どんなにお辛いだろう…」
謝罪すべきは被害者の方々だけではなく、
被害者の方々のご家族、そして被害者の方々を大切に想う周囲の方々に向けてでした。
たくさんの方々を傷つけ、踏みにじりました。
本当に申し訳ありませんでした。
そして、謝罪だけではなく、被害者の方々のために私ができることは何か、と問うています。
原発事故や水俣病、アスベストの裁判の取材をしていると、原告の方々は
「2度と同じことが繰り返されないようにしてほしい。被害者は私で最後にしてほしい。
私の被害が無駄にならないように、戒めとなるようにしてほしい。」
とおっしゃいます。
こんな酷いことが、2度と起こらないように、どうすべきか、調べて考え続けたいと思います。
私がこの問題を知って数日ですが、広河氏や周囲の方々にいろいろ聞くと、
広河氏だけの問題ではなく、体制の問題も多分にあると感じています
まず、私が「この問題を知って数日」という問題です。
広河氏が女好きらしいということは、何となく聞こえてきました。
しかし、出会ったときすでに70歳前で、結婚を数回されたとも聞かされ、
過去は情熱的だったのかな、くらいのイメージしか持っていませんでした。
おしどりは編集部にあまり行ったことがなく、恐らくこの4,5年は行っておりません。
連載の担当編集とやりとりをするのみですが、その方から、こういう話を聞いたことがあります。
「広河さんと編集部とでヨーロッパのジャーナリズムの祭典に行ったら、広河さんはきれいなモデルさんばかりチヤホヤして、私たちと全然扱いが違うんです! でもそのモデルさんから『おじさま』と呼ばれる、と怒ってるんですよ! 『おじさま』なんて失礼だ、とか言っちゃって。」
へーえ、いくつになってもきれいな女の人が好きなのかねぇ? とか軽口を叩く程度にしかとらえていませんでした。
私が、思い出せる限りの広河氏に関する女性事情はこの程度でした。
しかしここ数日、周囲の方々にいろいろ話を伺うと、周囲の方々と身体の関係を持っていることを薄々知っている方々もおられました。
女性トラブルがあったことを把握していることもおられました。
また、長期間、広河氏と付き合いがあっても、私と同じように全く気付いていない、私と同じようなレベルでしか見ていない方もおられました。
この差はいったい何なのか。
把握していた方、薄々気づいていた方、気付かなかった方、何が違うのかも知ることは、問題を防ぐための一助となるかもしれません。
そして、私がもっとアンテナを張っていれば、感じ取れる問題ではなかったか、ということも悔いています。
私が広河氏と近しいとみられ、伝えられなかったのでしょうか。
しかし、もっと広河氏に近い方でも把握している方はおられました。
この違いは、なぜか。
また、問題を把握しながら、改善なされなかったのはなぜか。
このことはもっと調べ、繰り返さないための方法を考えたいと思います。
私自身、原発事故後に取材を始め、性暴力ではないのですが、「ジャーナリスト」「記者」と呼ばれる方々の酷い事象に抗議をするたびに「彼のジャーナリスト生命を終わらせる気か」「彼は良い仕事をするのだから」と周囲に言われ続け、それでも「業績は業績。悪いものは悪い」と抗議を続けると、私自身が団体やプロジェクトから外される、ということを何度も何度も経験してきました。
なので、力関係に差がある中での今回の問題について、とても悔やんでおります。
前段の私の経験則として「彼の業績は素晴らしいのだから」と周囲が揉み消すことが多々あったからです。
悪いことをすれば謝罪すべきで、組織として自浄作用を働かせるべきで、
そこに素晴らしい業績などは関係ないのです。
このような酷いことが繰り返されているから、社会の様々な問題がなかなか解決に向かわないと感じています。
「DAYS JAPANや広河さんを長年支持して神格化してしまった自分にも責任がある気がした。彼女たちが声を上げられなかった一端が自分にもあると感じた」といった内容のツィートを見ました。
ハッとしました。
広河氏を、すごい人だと思っていた私にも責任があります。
すごい人なんかこの世にいなくて、ずるいところも性欲もある普通の人間しかこの世にいなくて、
誰かをヒーローのように思うこと、神格化することは、ものすごく社会をダメにすることの一端だと思いました。
誰かまかせの社会にすることと同じだと。
すごい人なんかいなくて、すごくない人がみんなそれぞれせっせと頑張ることでしか、社会はよりよくならないのだと。
誰かをすごいと思ってしまう感情は、警戒せねばならないことであったと思い当たりました。
少なくとも今回の問題では、誰かを神格化してしまう自分の感情は、被害者の方々への加害、口を封じさせたり、諦めさせたりすることに、結果的につながっていたと思います。
この問題について、調べ続け、2度と繰り返さないために、私たちはどうすべきか考え続けていきます。
改めて、被害者の方々と、そのご家族と、被害者の方々を大切に想ってらっしゃる方々を踏みにじったことについて本当に申し訳なく思います。
最後に、DAYS JAPANの肩書をプロフィールから外し、おしどりのサイトからリンクも外し、パソコンに貼ってあったステッカーも外しました。
それは、DAYS JAPANの名前に、申し訳なさと恥ずかしさと怒りを感じるからです。
12月28日
おしどりマコ