私は選挙で具体的に動いてるわけじゃないけど、横で見たり話を聞いたりしてるだけだけど、もうほとほとイヤになりました。
今回の都知事選の野党共闘は民主主義じゃない。
反安倍なら何をしてもいい、大義のために誰を踏みにじってもいい、は、
国のために経済のために国民を踏みにじってもいい、という考え方と同じだと思う

私は、うつけんさんのことだけを指しているのでは、全くありません。

なぜ古賀さんが二回も使い捨てにされたのか。
なぜ石田さんを誰も守らなかったのか。
そして、それを踏まえてのうつけんおろしは納得のいくものか。

政策もきっちり用意していた古賀さんやうつけんさんではなく、鳥越さんが「勝てる候補」として、政策無しでも推されるのは、民主主義とは思えません。

野党共闘に加われない人は非国民ですか。
それは民主主義ではなく全体主義ではないですか。

勝てなければ意味がない、という選挙?
自民党に勝つために、第二の自民党をめざすなら、
同じやり方をして、勝ちにいく、というのなら、
それは、私が目指している民主主義ではないです。
勝ちに行きたい方々はどうぞ。
私は違いますので、参加しないし、その自由はあります。

私が願うのは、それぞれのレベルを上げること。
脱原発とか原発推進とか、考えるために、
自分で知って考えて、自分の責任で判断すること。
自分たちで考えることを疎かにして、
誰かの意見にのっかってしまうのは、原発事故前と同じ過ちを繰り返しますよね。

選挙も同じ。
ドイツの放射線防護庁のお役人を取材したとき、言ってたように
民主主義の選挙は完ぺきのシステムではなくて、
愚かな民であれば、愚かな代表を選んでしまいます。
まずは、愚かな民を脱しなければ、と思います。

なので都知事選に限らず
有名な人が支援していれば、投票獲得数があがる、
ということこそ、自分で考えることを放棄してるよなぁ…と思います。
有名な人が立候補すれば、勝てる候補になるというのも同じ。
石田さんが守られず、古賀さんが2回使い捨てにされ、
政策が無い鳥越さんに決まったとき、
自民党の今井絵理子さんと、何が違うのだろう、と考えました。

自民党と同じ選挙をするなら、
自民党に負けるに決まってるし(組織力もお金も違うからね!)
そうではなくて、中身のある選挙をして、勝ちにいかなければ
私たちはいつまでたっても同じところにいますね。

参院選前に、学生ちゃんたちと
「若い人たちの投票率をどうやってあげるか?」
というイベントをしていたとき、
中学生から大学生までいろいろな方々が参加してくれました。

中学生で「将来、保育士になりたいけど、なんか結婚もできないくらい待遇が厳しいときいて。選挙権ないんですけど、デモには参加したことがあります」という方から
大学生で「親もずっと選挙に行かないし、自分も行かないと思う」
「そもそも、どうやって自分の意見を持っていいかわからない。たくさんの情報からどうやって考えて自分の意見を持つの?何が正しいとかどうやって判断するの?」というそもそも論まで幅広く。

イベントの目的はどうやったら投票率を上げるか、ということだったんだけど、
意見を持っていない人に、とにかく投票行こう!と呼びかけるのは違うよね、
あの東京都選管が作ったおバカな動画みたいになるよね、となり
意見を持ってもらうようにしたら、自然とみんな投票に行くのでは?となり。

では、みんな意見を持ったきっかけは何なの?と聞いたら、
親や先生や友達や先輩や、身近な方々のサジェスチョンでいろんなことを考え始めていました。

でも中学生が「僕、デモに初めていったとき、部活を休むのに『デモ』って言えなくて、『ちょっと用事で』って休んだんです。なんでデモで休むって言えなかったんだろう?」という問いかけ。

社会のことを考えるきっかけは、身近な人の影響が大きいのに、
社会のことを身近な人と話しにくい、
そこに根本的な問題があるんじゃない??となりました。

自分の周囲に、話していくこと。
それは信頼関係や普段の生活がとても大事。
自分のクラス、部活、バイト先、職場、親戚、
そこで、社会のことを話せなければ、
集まって集会だけで話すのであれば、
同じ考えの方だけいるところでしか話せないのであれば
社会は変わらないし、選挙で社会は変えられないよね。
そういう結論になりました。

民主主義とは、自分の生活の中で、社会のことを考えて、自分の責任で判断して、動くこと。
それを繰り返すこと。
地道に丁寧に積み上げていくこと。

なので、自民党の今井絵里子さんみたいな
有名人の勝てる候補は私はノーサンキュー。

今回は勝たなくては!
とにかくそろわなくては!
とおっしゃっている方々へ。

本当に?今回は?前からでしょ?
2011年の都知事選も、2014年もそうだったし、
こないだの参院選も、3年前の太郎くんが通ったときの参院選も、
ずっと重要。
特定秘密保護法が安保関連法が通っても、
社会の大部分が変わらなかったのは、
私たちのレベルが低いからだ、と痛感しています。

私が原発の取材をしているのも同じ、
私たち一人一人が自分で考えて動いて周囲を変えることからしか何も始まんない。

ここは、私が原発事故を取材するルーツに近くもあるので、こだわります。
ルーツというのは、脱原発、ということを、自分で知って調べて徹底的に考えて、自分の責任でもって脱原発、という判断を出さなければ、結局、事故前と同じだ、と思ったのです。

原発事故前は、なんとなく原発推進、または原発黙認だったように、原発事故後、なんとなく脱原発ならば、同じ過ちをどこかで繰り返すと思うのですね。

私は取材を通して私が知ったことを提供するので、その先は、それぞれが考えてほしい、それぞれが判断するときの材料の一助としてほしい、と思うようになりました。
誰がなんといおうと、すごい肩書の賢い人たちがいろいろ言おうと、
周囲の方々にたくさん詰め寄られようと、最後の一人になろうと、
でも、私は、福島第一原発事故の対応は間違ってると思います、と言えなくてはダメだ、
そして、そういう方々が増えないと、何も変わらないんだ、と思ったのですね。
だから、原発事故後のなんとなく脱原発、というのは、同じ失敗を繰り返すか、何も変えられないと思ったのです。

それと同じように、
私は、単に勝ちにいくための有名人選挙では、何も変えられないと思っています。あしからず。

もちろん、当選した方を自分たちで監視することは必要で、
その後、教育したらいいとおっしゃる方もいるでしょう。

山本太郎くんやデリくんが議員に当選してから、監視、というより
一緒にずっと動いています。
監視ではなく協働・連携に近い。
そう考える方は、どうぞ、鳥越さんを応援されて、
そして、監視したり連携を取られたらいいと思います。

私は私の考える民主主義を、
最後の一人になっても、守ろうと思うだけです。
私は、私の周りを、家族を、友達を、仕事仲間を、ご近所さんを
自分で考えて自分の意見を持つように変えていきます。
そのためには、私が手を抜いてはダメなのです。

もう一度、最後に書きます。
今回の都知事選の野党共闘は民主主義ではない、と思います。
大義のために、誰を踏みにじってもいい、という考え方は
国のために、経済のために、国民を踏みにじってもいい、という考え方と同じだと思います。
原発が、経済のために少数の被ばくを許容させることと同じだと思います。
(これは、うつけんさんだけでなく、石田さんや古賀さんのことも指しており、憶測ではなく、私が直接聞いた方も含まれています)

緊急だから政策無しの勝てる候補で、野党共闘、ということが
今、求められているならば、私は加わりません
野党どころか、日本の民主主義が負けることだと思うからです

ですので、私ではなく、みなさんは、みなさんの周りを、
家族を、友達を、職場を、変えるチャレンジを一緒に始めてくださったらと思います。

そして、野党共闘で、口を塞ぐのではなく。
選挙だから一つにまとまる、というのは、
意見を言う機会を奪うことではないと思います。


(全文の転載を禁じます)
(だって私が書いたんだもん!!)