安全保障関連法案に反対する学生と学者の共同行動
7月31日、「安全保障関連法案に反対する学生と学者の共同行動」が砂防会館にて開催された。
1部、2部で、学生5名、学者4名の素晴らしいスピーチが行われ、会場には拍手、笑い、涙が溢れた。
そのスピーチを順次、書き起こす。
SEALDs 自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクション
書き起こし目次
1部
2部
高山加奈子 京都大学教授
わたくしは法学が専門でございます。
私は今日、この場にいない方々にも呼びかけたいと思います。
今回の安全保障関連法案には賛成している人も、かなり多くいらっしゃいます。
その方々にも呼びかけたいと思います。
憲法を読んだことがありますか。
実は日本国は武力による威嚇、または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては放棄しているのです。
さらに、ご存じなかったかもしれませんが、日本国では交戦権そのものが認められていません。
そして憲法98条では日本国憲法に違反する法律は無効であるとされております。
従いまして、日本国が戦争に参加することに賛成である、という場合であっても、まず、憲法を改正することが必要なのです。
それに基づいた法律でなければ、効力を有しない、というのが大原則です。
今回の安保法案に賛成している方々の中には、日本国憲法そのものが無効である、とか
憲法の明文の規定を無視してよい、といった意見の方も多数いらっしゃいますが、
憲法の効力を否定することは日本が法治国家であることを否定することであり、
そのようなならず者国家であることに日本を逆戻りさせることは国際法秩序の中では到底認められません。
また、今回の安保法案に賛成している方々の中には、個別的自衛権と、集団的自衛権とを区別せずに意見を述べておられる方が非常に多く見受けられるように思います。
中国が日本を攻めてきたらどうするんだ、という意見が多く見られますが、それは個別的自衛権の話でありまして、今はそのことが問題になっているのではありません。
また、砂川判決が集団的自衛権の根拠にならない、ということは、先ほどもスピーチの中で言及されたとおりであります。
先日、内閣官房長官は、国家は憲法で禁止されていないことは何をやってもよい、という主旨の発言をなさったようですが、これはまさしく立憲主義を真正面から否定する考えです。
公明党に謝ればすむ、という問題ではありません。
立憲主義の大原則はまったくその反対、国家権力は憲法で認められたこと以外はしてはならない、というのが原則なのです。
もっとも、官房長官も首相も法的安定性が重要そうだということはお認めになったようであります、
それならば、集団的自衛権の行使が憲法違反であるということのそれを前提としてこれまで数十年にわたって動いてきた法秩序を転覆させるような行為がどうして主張できるのでしょうか。
集団的自衛権の関する法的安定性はどこにいってしまったのでしょうか。
そもそも、隣国が日本を攻めてきても、実効的な支配は不可能と言わざるをえませんから、その現実的な危険は現在ないと言わざるをえません。
報道の中には、中国では反日感情が高まっているといったことを書いているものもありますけれども、なぜ、反日感情が高まるのか、誰が反日感情を高めているのでしょうか。
当然のことながら、ファシストが台頭すれば、諸外国において反日感情が高まるのは当然のことといえます。
みなさん、私たちは今、相互に依存した国際社会の中に生きております。
中国産のものを全くつかわないで生活できるでしょうか?
東京や京都の町をごらんください、たくさんの観光客、外国からの観光客の方々がおられます。
そして京都大学や東京大学をはじめとするトップレベルの大学では多数のアジアからの大学生の方が学んでいます
これらの来日者の人々は、日本が素晴らしい、ということを国に持ち帰って周囲の方々に広める、という大事な役割をになってくれている人たちです。
米中関係も、米イラン関係も良くなる一方であります。
経済的、学術的、文化的な協力関係を広げていくことこそ、積極的平和主義の真の意味だと考えます。
日本はこれまで、武力行使をしない国として国際的な威信を保持してきており、だからこそ紛争地域のボランティアやジャーナリストの方々や比較的安全に活動することができていました。
これをやめてしまうことは、国際社会における日本の信頼を傷つけるばかりでなく、現地で苦しんでいる人々をも同時に傷つける結果になってしまいます。
最近では、読売新聞の世論調査でも内閣を支持しない人の率が、支持する人の率を上回っております。
どの調査が信憑性があるのかということは、いろいろなメディアがありますので慎重に判断しなければなりません。
現在、残念なことに国民の知る権利というのはかなり制限された状態になっており表現の自由も段々浸食されているという状況になってきます。
しかしこれに負けずにわたくしたちは闘って民主主義を勝ちとっていかなければなりません。
今の政権が進もうとしている方向は軍事産業だけが儲かるという経済の仕組みになっています。
若い人が真面目にコツコツと働けば幸せな人生を送れるという社会はいったいどこに行ってしまったのでしょうか。
日本は本来、知的財産立国をめざしていたはずなのに、大学の研究教育予算は大幅に削減され、すでに軍事研究には補助金を出すという予算編成に移行しつつあります。
もう始まっています。
お金のないひとは大学にも行けない、こんな絶望的な世の中で、若い方々が、自分は戦争で死んでもいいや、と思っていまう、というのはこれは現実に起こっていることです。
実際、死刑になりたいために殺人をおかす、という人が何人も出てきている世の中ですから、それは非現実的なことではありません。
今、問題になっているのは、日本が近代国家としての格を備えるのか、それともこれを捨てて自ら独裁国家におとしめてしまうかという別れ目です
いくら、総理大臣が天才的知能を持っていて、我々学者一万人を集めたよりも賢くて、私が総理大臣だから言ってることが正しいとお考えなのであったとしても、人間は神様ではありませんから、全知全能の判断をくだすことはできません。人間は神様ではありません。
だからこそ立憲主義があるわけです。
これを否定することは断じて許せません。
日本は素晴らしい国です。日本人は素晴らしい国民です。
わたくしの専門にしております裁判員制度のような複雑な難しい制度、クジで選ばれた市民が立派にやっていけるというこういう素晴らしい国は日本以外にないと思っているわけです。
本当にみんなが力を合わせれば、真の意味での民主主義が築けるし、若い人達が希望を持って住める日本にもなる事が出来るようにも思います。
みなさん一緒に頑張っていきましょう。
ありがとうございます。
人間が全知全能の判断を下せないからこそ、立憲主義がある
筆者は高山教授の下記の言葉に惹かれた。
人間は神様ではありませんから、全知全能の判断をくだすことはできません。人間は神様ではありません。
だからこそ立憲主義があるわけです。
……
経済的、学術的、文化的な協力関係を広げていくことこそ、積極的平和主義の真の意味だと考えます。
とてもわかりやすい、単純なことだと思う。
また、高山教授は冒頭、こう呼びかけている。
憲法を読んだことがありますか。
憲法を読んだことがある方は、現在の日本国民においてどれくらいいるだろうか?
憲法を全て読み、理解した上で、安保関連法案に賛成される方はどれくらいいるだろうか?
ジュヌヴィエーブ・フジ・ジョンソン著「核廃棄物と熟議民主主義」から抜粋する。
熟議民主主義の重要な要素は、正当とするに足る合意は対話に由来するということである。
…
熟議民主主義の理念は、一つの包摂的な対話の過程である。
それは相互理解と、しかるべき情報に基づく合意とを促進する。
…
さらに各人は、情報にもとづいた効果的な公衆による熟議に必要とされる、認識を深めるための情報源に平等に接近できなければならない。
この著作は、カナダにおける政策決定過程の事例研究から、熟議民主主義の可能性、倫理的政策分析の可能性を探るものである。
民主主義とは、多数決ではなく、合意形成であり、熟議民主主義は、「正当とするに足る合意は対話に由来する」とある。
対話の重要な要素として「認識を認めるために情報源に平等に接近できなければならない」ともある。
これは「知る権利」でもあるが、筆者は「知る義務」ともとらえた。
対話をするには、知らなければならないのだ。
同じ情報を、知識を持ってこそ、初めて議論、対話が成立する。
憲法を読んでから、初めて、憲法に関する対話が成立するのだ。
改めて、法学者、高山教授の問いを想う。「憲法を読んだことがありますか」
筆者は…えーと読んだけど、もっと何度も読んで理解を深めます!!!
余談
ケンパル「マコちゃん、今の日本は熟議民主主義じゃないよ、何か知ってる?」
何???
ケンパル「熟議じゃなくて、あこぎ民主主義やで!!!」